|
諏訪神社の「辻堂諏訪神社人形山車4基」の解説板。
辻堂村は四つ角を中心にして東町・西町・南町・北町に分かれ、それぞれが人形山車を保存し、7月の例大祭には4基が奉納されるとのことです。
11:20 では、次は引地線を歩いてみましょ。引き返して・・・ |
|
11:25 再び三ツ叉。この付近の道はちょっと分かりにくい。(私だけ?)
推定経路を歩きたかったので、ちょっとウロウロ。
11:30 経路が分かって続行! |
|
立派な白壁蔵を右に見て、道標[10]伏見稲荷神社を左に見て進み・・・ |
|
11:35 道標[21]で「四ツ谷、二ツ家で大山街道へ→」へ。ここから引地に向かいます。
右に道なりに進むと東海道の「四ツ谷」に行ってしまうので・・・ |
|
NTT局前のY字路は、右の「キッチンたぐち」方向へ。
|
|
推定経路は「この先 行き止り」へ左折します。試しに進んでみましたが・・・
JR東海道本線に出て、PC DEPOTが見えますが、残念ながら踏切がないので引き返して迂回します。 |
|
11:45 北の寺と呼ばれる宝珠寺(寶珠寺。ほうしゅうじ。「ほうしゅじ」は間違い)。かつては四つ角を中心に南の寺・宝泉寺の対角にあったそうです。
山門脇に「文化財ハイキングコース案内板・辻堂古道コース」があります。 |
|
私は明治の迅速測図で道の太さに着目して推定しましたが、本堂の向き(東)を考えると、寺の前の道が古道だったかもしれません。
でも、地図では点線表示(細道)。細過ぎない?よく分かりません。 |
|
庚申塔がたくさんあります。
これはそのひとつで左から言わザル、聞かザル、見ザルの庚申供養塔。「藤沢市指定重要文化財」の解説板があります。
11:55 継続。 |
|
宝珠寺を出て北に向かい、辻堂踏切を渡ります。(向かいは事務キチ)
PC DEPOTで迂回終了。右(北東)のやや細い道に入っていきます。 |
|
12:05 角にクリーニング店がある交差点を直進。
交点が少しずれた五叉路(食い違い6叉路ともいえる?)は左前方(北)。┼字路とみると直進。
逆コースで歩く場合は少し悩ましい。 |
|
12:10 明治初頭(1872年)、羽鳥の名家・三觜(みつはし)八郎右衛門は、東京から小笠原東陽(儒学者)を呼んで学校を開いた。翌年、公立小学校(現明治小学校)になったが、三觜と有志がこの地に私塾を開き、のちに耕余塾(耕餘塾。こうよじゅく)と改称した。とのこと。
この跡地は当時の敷地の一部で、解説板と私には読めない石碑がふたつ。 |
|
12:15 耕余塾跡の隣は羽鳥幼稚舎。
この先もいくつか分岐がありますが、基本的に北東に向かいます。 |
|
寄り道してお城みたいな家。何でしょ?
コンビニがある広い道に出ます。向かいは焼き肉店と羽鳥中学校。
左(北)は東海道(県道43号[羽鳥中学校入口]交差点)。
東海道を茅ヶ崎方向(西)に向かう予定なので左折すれば近道ですが、古道の接続点まで歩きましょう。 |
|
向かいの少し細く、くねった道に入ります。
12:25 東海道に合流。ちょうどメルシャンの工場正門前。ここが引地の入口。
この道は旧国道1号で、現在は県道(43号、一部44号重複)。茅ヶ崎・平塚に向かいました。 |
|
国道1号の[四ツ谷]交差点に合流。国道を横断して「茅ヶ崎」方向に進むと・・・ |
|
12:45 大山道起点に「四ツ谷不動」。
梵字の下に「大山道」と書かれた石道標の上に不動明王が座っています。
もうひとつ新しい道標「是よ里右大山みち」がありますが、レプリカ。かつてあった本物は伊勢原市・大山小学校南側の新道の脇に移設されました。 |
|
一の鳥居。額は天狗。向って左側の柱は江戸時代、右の柱は昭和。何度か再建されたようです。
くぐって大山道へ。 |
|
[城南一丁目]交差点を横断して向かいの道に進み・・・
Y字路に地蔵。石道標の右側面には「右のみち」と刻まれ、「大山道は右?」と思いがちですが、「右野道」のことで、大山道は左。
左側面にも何か刻まれているようですが、着物に隠れて見えません。
なぜ着物を着せるのか、私にはまったく理解できません。 |
|
静かな小道を行くと、やがて5叉路。標識はありませんが、ここが「餅塚の辻」。大山道は右折。
ここは直進(南)して二ツ谷へ。「曲がりくねった古道っぽい道」を選んで進みます。 |
|
13:05 国道1号(東海道)の[大山街道入口]交差点。トヨタカローラ店が目印。
そしてこの地が二ツ谷(古くは二ツ家。左にバス停あり)。 |
|
松の木に寄り添うように巡礼供養塔。昔の文字ゆえ、読めたのは「あふり山」ぐらい。 |
|
国道を横断し、向かいの細道が光明真言道場道(二ツ谷線)。
右角にある石塔が南の寺・宝泉寺と同じ道標とのことですが、表面が剥がれ落ちて読めません。
では、古道へ。 |